ミロシュ・スピアウ選手来日
先週木曜日にPlayOK(オセロの対戦サイト)にログインしたところ、ポーランドのミロシュ・スピアウ選手から「6~8日に来日します」という短いメッセージが届いていました。ミロシュ選手といえば今年のパリオープンで優勝、世界選手権でも7位に入賞した若手強豪です。早速私のメールアドレスと「できたら会いましょう」という言葉を添えてメッセージを返信しました。
パリや世界選手権で彼と会っている人たちにメールを送り、月曜日の夜(彼の帰国前夜)に新橋で夕食を食べることになりました。待ち合わせはSL広場のSL前。無事にミロシュと他の参加者と落ち合うことができました。ミロシュにはメールで「迷ったら近くの人に Esu Eru Hiroba wa doko desu ka? と言って教えてもらってください」と伝えてあったのですが、その表現を2回使ってたどり着いたそうです。もう覚えてしまったようで上手に言っていました。「日本の人は本当に親切です。わざわざ300メートルも一緒に歩いて場所を教えてくれた人もいました」とのことでした。
当初はミロシュ、竹田さん、谷田さん、私の四人で食事をする予定だったのですが、嬉しい飛び入り参加がありました。佐野さんと井上博さんです。井上さんといえば初代世界チャンピオンで伝説的な存在です。私も久しぶりにお会いしました。「最近定年退職して時間ができたので参加しました。村上さんのブログも時々見ていますよ」と嬉しいお言葉。寒風吹きすさぶ中、6人で店に向かいました。
ミロシュが事前に「焼き鳥が食べたい」と言っていたので、谷田さんが選んでくれた店です。ミロシュは座敷は初めてだそうでかなり脚が痛そうでしたが、焼き鳥がとても美味しく、また焼き鳥を一本食べ終わったころに違う種類の焼き鳥が出てくる、というスタイルが新鮮だったようで「とても素晴らしい食事でした!」と絶賛していました。確かに、グルメの谷田さんがチェックしていたお店だけあって非常に美味しかったです。
ミロシュはまだ23歳。日本のデジカメを輸入してポーランドで売る仕事をしていて、今回も商用で来日したそうです。オセロは6年前にPlayOKで対戦したのがきっかけで夢中になったそうです。ポーランドには強い選手が20人ぐらいいるとのこと。結構オセロが盛んなようです。「為則さんが優勝したころ(1989年、ワルシャワ大会)と今のポーランドは別の国のようです。今は共産主義時代の面影はなく、経済の発達した自由で近代的な国にまりました。ぜひ一度来てください」と言っていました。6人それぞれ色々な話が聞けて、楽しくあっという間に夕食の時間が経ちました。
食後に喫茶店に行きました。「日本の女性はセクシーです。ヨーロッパの女性と違って声が高いのがいい」というミロシュは竹田さんと佐野さんに挟まれてとても楽しそうでした。記念に一局、と私とオセロを打つことになりました。
この試合、途中までは互角の進行だったのですが、私がとんでもない見落としをして一気に敗勢になってしまいました。それが次の写真です。
なんと、白(私)は左上の1個空きに打てないではありませんか!! 竹田さんが「昔は相手が村上君というだけで海外の選手は緊張して悪手を打ったりしてたけど、村上君の神通力もなくなってきたわねぇ」とコメント。確かにおっしゃる通り。考えてみると今回の参加者はミロシュ以外全員40代以上です。なんだか日本オセロ界の高齢化を見ているような気がしてきました。
Miłosz Cupiał 42-22 Takeshi Murakami
これがその試合です。38がとんでもない大悪手。39と打たれては一巻の終わりです。38でb3ならまだこれからの勝負でした。
これはちょっとひどい試合だったので、もう少しましな勝負をしようともう一局打つことになりました。
Takeshi Murakami 50-14 Miłosz Cupiał
ミロシュは相当序盤に詳しいようで、私の15手目を見て「最善はe2ですよ」と教えてくれます。私が「でもb4も悪くないでしょう」と言うと、首を傾げながら「まあ、この方が私は楽なのでいいけれども」と言います。しかし彼のその自信溢れる態度も私の19を見て変わります。谷田さんが「これはいかにも村上さんらしい手だなあ」とコメント。21までで互角と踏んでいました。22ではc2を予想していました。黒からそこに打てて優勢を感じました。26はf1の方が良く、この単独C打ち以降は黒必勝。
2局とも一方的になってしまったのはちょっと残念ですが、とても楽しい対局でした。ミロシュは「高梨と私は似ていて、コンピューターを使って序盤を徹底的に研究している。例えば私はフラットローズ(ローズオープニングの一変化)について終局まで多くの最善手順を知っている。相手が石損の変化をした場合の対応手順も全部知っている。だから相手がフラットローズで来た場合は負ける気がしない。末國は全く違うタイプで、序盤の数手目でもう石損の変化をし、中終盤の力で逆転する。私と末國は今まで5試合していて、末國の3勝1敗1分だ。しかし彼との一番最近の試合(世界選手権予選)では私が勝ったのでとても嬉しい」と語っていました。
新橋駅前で解散。ミロシュは「今日は本当に楽しかったです。ありがとう。来年3月の名人戦には是非参加したいので、その時にまた会いましょう」と言っていました。
(写真提供は佐野さんです。どうもありがとうございました)
パリや世界選手権で彼と会っている人たちにメールを送り、月曜日の夜(彼の帰国前夜)に新橋で夕食を食べることになりました。待ち合わせはSL広場のSL前。無事にミロシュと他の参加者と落ち合うことができました。ミロシュにはメールで「迷ったら近くの人に Esu Eru Hiroba wa doko desu ka? と言って教えてもらってください」と伝えてあったのですが、その表現を2回使ってたどり着いたそうです。もう覚えてしまったようで上手に言っていました。「日本の人は本当に親切です。わざわざ300メートルも一緒に歩いて場所を教えてくれた人もいました」とのことでした。
当初はミロシュ、竹田さん、谷田さん、私の四人で食事をする予定だったのですが、嬉しい飛び入り参加がありました。佐野さんと井上博さんです。井上さんといえば初代世界チャンピオンで伝説的な存在です。私も久しぶりにお会いしました。「最近定年退職して時間ができたので参加しました。村上さんのブログも時々見ていますよ」と嬉しいお言葉。寒風吹きすさぶ中、6人で店に向かいました。
ミロシュが事前に「焼き鳥が食べたい」と言っていたので、谷田さんが選んでくれた店です。ミロシュは座敷は初めてだそうでかなり脚が痛そうでしたが、焼き鳥がとても美味しく、また焼き鳥を一本食べ終わったころに違う種類の焼き鳥が出てくる、というスタイルが新鮮だったようで「とても素晴らしい食事でした!」と絶賛していました。確かに、グルメの谷田さんがチェックしていたお店だけあって非常に美味しかったです。
ミロシュはまだ23歳。日本のデジカメを輸入してポーランドで売る仕事をしていて、今回も商用で来日したそうです。オセロは6年前にPlayOKで対戦したのがきっかけで夢中になったそうです。ポーランドには強い選手が20人ぐらいいるとのこと。結構オセロが盛んなようです。「為則さんが優勝したころ(1989年、ワルシャワ大会)と今のポーランドは別の国のようです。今は共産主義時代の面影はなく、経済の発達した自由で近代的な国にまりました。ぜひ一度来てください」と言っていました。6人それぞれ色々な話が聞けて、楽しくあっという間に夕食の時間が経ちました。
食後に喫茶店に行きました。「日本の女性はセクシーです。ヨーロッパの女性と違って声が高いのがいい」というミロシュは竹田さんと佐野さんに挟まれてとても楽しそうでした。記念に一局、と私とオセロを打つことになりました。
この試合、途中までは互角の進行だったのですが、私がとんでもない見落としをして一気に敗勢になってしまいました。それが次の写真です。
なんと、白(私)は左上の1個空きに打てないではありませんか!! 竹田さんが「昔は相手が村上君というだけで海外の選手は緊張して悪手を打ったりしてたけど、村上君の神通力もなくなってきたわねぇ」とコメント。確かにおっしゃる通り。考えてみると今回の参加者はミロシュ以外全員40代以上です。なんだか日本オセロ界の高齢化を見ているような気がしてきました。
Miłosz Cupiał 42-22 Takeshi Murakami
これがその試合です。38がとんでもない大悪手。39と打たれては一巻の終わりです。38でb3ならまだこれからの勝負でした。
これはちょっとひどい試合だったので、もう少しましな勝負をしようともう一局打つことになりました。
Takeshi Murakami 50-14 Miłosz Cupiał
ミロシュは相当序盤に詳しいようで、私の15手目を見て「最善はe2ですよ」と教えてくれます。私が「でもb4も悪くないでしょう」と言うと、首を傾げながら「まあ、この方が私は楽なのでいいけれども」と言います。しかし彼のその自信溢れる態度も私の19を見て変わります。谷田さんが「これはいかにも村上さんらしい手だなあ」とコメント。21までで互角と踏んでいました。22ではc2を予想していました。黒からそこに打てて優勢を感じました。26はf1の方が良く、この単独C打ち以降は黒必勝。
2局とも一方的になってしまったのはちょっと残念ですが、とても楽しい対局でした。ミロシュは「高梨と私は似ていて、コンピューターを使って序盤を徹底的に研究している。例えば私はフラットローズ(ローズオープニングの一変化)について終局まで多くの最善手順を知っている。相手が石損の変化をした場合の対応手順も全部知っている。だから相手がフラットローズで来た場合は負ける気がしない。末國は全く違うタイプで、序盤の数手目でもう石損の変化をし、中終盤の力で逆転する。私と末國は今まで5試合していて、末國の3勝1敗1分だ。しかし彼との一番最近の試合(世界選手権予選)では私が勝ったのでとても嬉しい」と語っていました。
新橋駅前で解散。ミロシュは「今日は本当に楽しかったです。ありがとう。来年3月の名人戦には是非参加したいので、その時にまた会いましょう」と言っていました。
(写真提供は佐野さんです。どうもありがとうございました)
2009-12-10 13:31
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コメント(5)
1枚目の写真に井上さんが写っているのをみて心臓がとまるほど驚きました。しかも、「定年退職しました」と書いてあるのを見てまたびっくり。考えてみれば第1回オセロ世界大会が開催されたのが1977年、その時井上さん29歳。それから32年も経つのですから、そりゃ定年という話になるわけです。
その後オセロ大会にめっきり出なくなった井上さんと話をする機会があって、「井上さん、もうオセロ大会でないんですか」と井上さんに聞くと、「今オセロやってる時間がなくてねぇ、定年退職して時間ができたらまたやろうかな。出るとしたらしばらく修行してオセロで県代表レベル(囲碁の世界で全国大会に出られるレベルをいう)になってからだね」とおっしゃっていたのを覚えています。そしてついにそういう時期になってしまったので時の流れの早さを感じつつも、また復活してくださらないかなぁ、と、ひそかに期待しています。
ミロシュのネタの記事なのに井上さんネタですいませんが、何せ井上さんといえば私の師匠なもんで・・・・。
by アンチオセロ大王 (2009-12-10 23:04)
村上さん、当日はお誘いありがとうございました。
ミロシュは気さくないい人ですね。帰る頃になって"Roppongi"(六本木)を連呼してましたね。ご案内できなかったのが心残りですが、また「次回」があると思います。もっとも六本木については私より詳しい方がたくさんいそうなので、私の出る幕ではないかもしれません。
それはそうと、井上さんとは私も10年ぶりぐらいにお会いしました。大王さん同様、私も挨拶もそこそこに「オセロ界復帰はいつですか」と無遠慮にお尋ねしてしまいました。
「うーん、運営側として、かな」と控えめにおっしゃっていましたが、久しぶりに大会の空気に触れ、今のオセロの特に若い人たちの活躍ぶりを目にすれば、きっと石を手にとって盤の前に座りたくなるに違いないのではないかと、期待も含め想像してしまいました。
by tanida (2009-12-11 23:49)
アンチオセロ大王さん、谷田さん
井上さんは「大会に復帰します」と言っていたような気がします。でも私も酔っていたので、もしかすると記憶違いかもしれません…。井上さんが大会に出て下されば、オセロ界も更に盛り上がって楽しくなるでしょう。あまり肩書や勝敗を気にせずに是非復帰して欲しいですね!
その後ミロシュとPlayOKで話す機会があったのですが、日本がとても気に入ったようで、ローマ字の日本語を結構上手に使っていました。若いから上達が速いですね。
by murakami_takeshi (2009-12-14 15:14)
井上さんには私も復帰して欲しいと思っています。
井上さんに限らず、少なくとも全日本無差別優勝経験者、またはそれと同等以上の経歴の方には、何らかの形でオセロに関わり続けていただけたら嬉しいです。
>若いから上達が速いですね
元々輸入関係の仕事を手がけるという時点で、語学のセンスがあるのだと思うのですが、彼の場合はそれに加えて強い動機付けがあるのかなー。今回は六本木には行けませんでしたが、新橋のいわゆる「萌え系」カフェの呼び込みのおねーさんをいたく気に入った様子でしたから。
日本でオセロの勉強をしたいのと同じぐらい、日本の「文化(のごく一部)」を勉強したいと思ってるんじゃないでしょうか。
…と私が言っていたと伝えておいてください。
by tanida (2009-12-15 07:35)
谷田さんのコメントで思い出しましたが、金田さんが大会に復帰するとどこかに書いてありましたね。久しぶりに対戦するのがとても楽しみです。
ミロシュは六本木でうまくいったのでしょうか? 気になるところです。
by murakami_takeshi (2009-12-15 14:09)