大使館訪問

昨日は学校行事で大使館訪問をしました。私の勤務校(麻布学園)の周辺には沢山の大使館があります。高校3年生の行事では複数のコースに分かれて様々な活動をするのですが、その一つが大使館訪問でした。しかし今年はたまたまIMFの総会が東京で開催されている関係で受け入れてくれる大使館が少なく、まとめ役の生徒は随分苦労したようです(麻布では多くの学校行事が生徒の自主的運営に任されています)。

午前中はフランス大使館に行きました。受け入れてくれた数少ない大使館の一つがフランス大使館とは! 個人的には実にラッキーなことで、前からとても楽しみにしていました。学校からフランス大使館までは歩いて10分ほどです。各国の大使館が点在する静かな住宅街を生徒20数名と歩いていると、まとめ役の生徒が「先生、実は昨日フランス大使館からメールがあって、説明役をしてくれることになっていたフランス人外交官が来れなくなったそうです」と言います。「あ、そうですか…」と言う私をカメラを持った生徒が撮影。生徒が皆笑って「今の村上先生の表情が今回の大使館訪問のハイライトだな」と言いだす始末。私がフランス語を勉強していて、今回の訪問をとても楽しみにしていることは授業中の雑談で生徒達も知っています。自分ではそんなつもりはなかったのですが、相当にがっかりした表情をしていたのでしょう。

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フランス大使館は都内の大使館の中で最大の敷地面積があるそうです。3年前に新築された建物はとても立派でした。

通された会議室で広報部の女性職員の方が「本当はフランス人職員に説明と質疑応答をしてもらうのが一番良いのですが、IMFの対応でどうしても人手がなくて…」と言っているところに文化副部長のフランス人男性が入ってきました。偶然手が空いて応援に来てくれたようです。生徒への質問に答える形で、英語一極化への危惧、フランスにおける日本の漫画やアニメ、日本でのフランス文化(劇、音楽、美術、等)の振興、フランスにおける北野武監督の評判、など、主に文化面から様々な話をしてくれました。私は「またとない勉強のチャンス!」と思って真剣に聞いていたのですが、だいたい8割ぐらいは聴き取ることができました。フランス語でした質問もちゃんと通じて嬉しかったです。

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午後はブルキナファソ大使館に行きました。この大使館も学校から歩いて5分ほどと近いのですが、フランス大使館とは対照的に普通の小さな民家で、仰々しいセキュリティーチェックもありません。大使夫人や一等参事官を始め数名のスタッフが我々を歓迎してくれました。ブルキナファソは昔フランスの植民地だった国です。国内に60もの民族があり皆言葉が違うので、共通語としてフランス語が使われているそうです。日本から多くの援助をもらって学校や病院が建てられていること、食糧の援助もしてもらっていること、多くの日本人の若者がボランティアで働いていること、などを話してくれました。そのためブルキナファソの人達は日本に対してとても感謝して親しみを感じているそうです。

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またブルキナファソは内戦状態にあるマリやコートジボワールとも国境を接しています。ブルキナファソの大統領がこれらの内戦を終結させるために様々な仲介の努力をしていることも話してくれました。参事官は英語はあまり得意ではないのですが、生徒達のために全て英語で話してくれます。「日本で道を聞くと本当に親切に教えてくれる。これはアフリカでも同じです。ブルキナファソに来たらぜひ私の家に泊って下さい。あなたが私のベッドに寝て下さい。私は庭で寝ます」という参事官の言葉が心に沁みました。

欧州の大国フランスと、アフリカでも最貧国に位置するブルキナファソ。全くの偶然ですが、この対照的な二国の大使館を訪れたのは生徒達にとって貴重な体験だったに違いありません。私にとっても忘れられない一日となりました。


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КАНАЯ

英語一極化に対するアンチテーゼとして仏語を学ぶ方も多いようです。
一方でフランスは、ブルトン語、アルザス語(『最後の授業』の舞台のアルザスはゲルマン語の中の高地ドイツ語の一つ、アルザス語でドイツ語と兄弟言語というのは国家と言語の関係についての示唆に富んでいますが)、オック語(プロヴァンス語、ガスコーニュ語などの総称)などの使用をいまだに禁じており、隣国スペインでカタルーニャ語やガリシア語が一部の州の公用語なのとは対照的だと思います。
ブルキナファソもフランコフォニーですが、その歴史経緯は多くの人が知るところで、日常語たるモシ語からの知識人への入り口はなく、それは未だフランス語経由でしかないようです。
フランス語もいくつもの側面を持ち、また、フランス自身も文化・言語の多様性があるはずなのに、われわれはそれに時に鈍感だと思います。
かつての華やかな国際語、いまなお多くの異邦人を引き付ける国家を多角的にとらえることは大切だと思います。
by КАНАЯ (2012-10-15 03:19) 

murakami_takeshi

КАНАЯさん

言語の使用を禁じている! 近代的民主国家であるはずのフランスでそのような事態があるというのは恐ろしいことですね。この話をもう少し早く知っていれば大使館で質問することもできたのに、惜しいことをしました。
by murakami_takeshi (2012-10-15 18:03) 

КАНАЯ

「言語の禁止」がどのレベルで行われているか、刑罰や行政罰が課されているのかまでは分かりませんが、学校教育での授業言語(例:何語で数学を教えるのか)、公的文書はフランス語で行われているようです。結果、地域言語(方言ではなく)は衰退しつつあるというのが概ね一致した見解です。台湾での台語(台湾語)や中国での広東語(粤語)と似たような状況だと思います。

フランスの言語は大まかに二分され、北仏はフランス語含むオイル諸語、南仏はガスコーニュ語やプロヴァンス語などを含むオック諸語です。(もちろん、現代ではフランス語はフランス全土で解されますが。)

そして、ヨーロッパ政治史のある大学教官が「六角形(L'Hexagone)のフランスの各頂点には地域語(「方言」と書くのは厳密ではないようです)が存在する」とおっしゃっていたように、フランスでは地域語が存在し、
ブルトン語(ケルト語派)、オック諸語(ロマンス語派)、アルザス語(ゲルマン語派の高地ドイツ諸語、ドイツ語と兄弟言語)、バスク語(系統不明)、カタルーニャ語(イベロ・ロマンス語派)、フラマン語(ゲルマン語派の低地ドイツ諸語、オランダ語と兄弟言語)
など、言語の多様性がみられます。

欧州評議会は1992年に「ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章」を定めましたが、フランスは、スペイン、ドイツ、ポーランドなどが調印批准するのと対照的に、1992年に共和国憲法第2条に「共和国の言語はフランス語である」と追加し、批准を拒否し、やっと1999年には調印のみを行いました。(批准しないと仏国での当該憲章は法的効力をもちません。)

スペインでは、カタルーニャ州、バレンシア州、バスク州、などの6州(フランスでの「地域圏」の存在)はスペイン語(カスティリア語)とは別に公用語を定めており、学校教育や入試含め、カタルーニャ語やバスク語やガリシア語などが公的にも使用されていることと対照的のように思われます。

英語一極集中主義が言語の多様性、多様な価値観の観点から批判されるのなら、仏国内の言語政策も再考の余地があろうと思われます。
そして、仏語がなぜ未だなお多くの国で公用語とされ、いまだ海外県・領土を有するのかも。

「自由平等博愛(Liberté, Égalité, Fraternité)」を標榜する共和国ですが、フランスに関心を持つものなら一度は、その言葉の中身について、具に精査する必要はありそうです。
by КАНАЯ (2012-10-16 12:29) 

murakami_takeshi

КАНАЯさん

「自由平等博愛」というのは美しい標語ですが、家族や学校レベルでこの状態を作るのも困難ですし、ましてや国家レベルでそのような原則を達成するのは到底不可能に思えます。「こうなれば理想的だな」程度のものではないですか?

それにしてもКАНАЯさんの博識には驚嘆します。大使館訪問の折にКАНАЯさんのような方がいたらもっとずっと充実した質疑応答になったことでしょう。麻布生も私も全く勉強不足ですね!

by murakami_takeshi (2012-10-16 13:16) 

КАНАЯ

いえいえ、私もまだまだ勉強不足で、オック諸語やフランス国内での言語政策の動向を機会があれば勉強したいと思っています。
欧州は陸続きの国家ですので、国境地帯は言語が変わりゆくさまがわかり、国民国家と言う概念がある意味で人為的―もちろん必要なのかもしれませんが―だと思わずにはいられません。
私も、機会があれば大使館めぐりをしてみたいです!日本に居ながらにして各国の文化を体験できるのは東京ならではですよね!!
by КАНАЯ (2012-10-17 10:05) 

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